しかし、日本には煙草屋、駄菓子屋、牛乳屋などがすぐ近所にあって、いってみれば商店街がコンビニエンス的な存在だ。
それに朝の6時とか、夜のn時とかに客があるのか」この幹部は、当時の社内会議ではこうした意見が主流を占めていたと証言する。
流通業界で、現代のアントレプレナー(起業家)としての名声を欲しいままにしているIも、実はこうした意見に引きずられた。
それは「社を挙げて取り組む新事業としてのコンビニエンスストアがもし失敗してしまったら、せっかく営々として築いてきたイトーヨー力堂の信用が一挙に崩れてしまう」という思いからだったようだ。
経営者としては、当然の迷いだったろう。
決して一気に参入決定したわけではないのだ。
こうして四面楚歌の状況に追い込まれたS、Fらだったが、とりあえず、交渉を進めることだけは許された。
しかし、内憂外患。
米国でも頭の痛い問題が生じていた。
イトーヨーカ堂がコンビニエンスストアを手がけるとして、ふたりが念頭に置いたのはもちろんSEであり、交渉先はその統括を行なっているサウスランド社である。
ところが、そのサウスランド社はデニーズと同様、当時、日本への提携話にはまったく乗り気でなかったのだ。
いくら日本の3大スーパーのひとつとの提携といっても、物流・小売りという地域密着型のコンビニエンス事業を手がけているサウスランド社には、海の果てでの新規事業にメリットは感じない。
困り果てたふたりは羽年春、取引先のI忠商事の紹介をうけ、やっとFがケネディー大統領暗殺で知られるダラスのサウスランド社本社を訪問することができた。
そして門年6月、交渉がスタートする。
しかし、サウスランド社が提示した条件は、イトーヨーカ堂にとって予想以上に厳しいものだった。
提示条件の骨格は、①フランチャイズ事業はイトーヨーカ堂とサウスランド社の合弁とする、②ロイヤリティーは売り上げ高の1%にする、③出店期間や出店数をサウスランド社がコントロールする、④日本市場を二分し、ヨーカ堂の出店地域は東日本だけにするなどとなっていた。
サウスランド社にしてみれば、多くの米国系企業がそうしているように、市場開拓のリスクはなるべく現地資本に任せてリスクを減らし、仮に事業がうまくいくようなら、直接進出して利益を膨らませたいという思惑があった。
SとFは、サウスランド社側の提案内容について分析してみた。
「合弁事業になると、身動きするのに、いちいちサウスランド社の合意が必要になる。
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